大磯紹介

シニア街道をいく46、大磯「御船祭」

神奈川県大磯の漁師町のお祭り高来神社由来古代韓国の高麗が新羅連合軍に滅ぼされた時にその王族若宮を中心に、高麗人が大磯に渡来し近くを開拓し高麗寺を建て住んだ。その後高麗人は武蔵国高麗郡に集められ移住した。漁民がいまの照が崎の海中に光る千手観音...
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シニア街道を行く45、東京深川を散策

清澄庭園から芭蕉博物館深川の地名は地図では深川一丁目、二丁目にあるだけだが、通例もっと広い区域を指し銀行の深川支店は広く分布する。江戸時代、大阪から移住して小名木川北岸一帯の開拓を行った深川八郎右衛門が村名を深川としたことに由来する。「深川...
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シニア街道を行く42、「東海道 藤沢宿」

東海道53次6番「藤沢宿」江戸時代に江戸を中心にした5街道が整備されました。奥州街道、日光街道、甲州街道、中山道、東海道 中でも東海道は江戸と京都を結ぶ最も重要な街道でした。藤沢宿は東海道の江戸日本橋から6番目の宿場町で、品川、川崎、神奈川...
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シニア街道を行く41、「谷中、根津、千駄木」

江戸時代小説の場所を尋ねる西條奈加作、直木賞受賞時代小説「心淋し川」に書かれた江戸時代、心さびしい川がよどんでいた貧民窟はどこであろうか。作者が「根津権現の北の裏手にあたる千駄木町あたりを取材し、崖のような場所も残っていた」と語った場所はど...
旅行

シニア街道を行く40、明治新日本発祥の地を行く

東京日本橋周辺に残る明治近代化の面影 2024年1月20日訪問1、渋沢栄一銅像(東京駅日本橋口より徒歩5分)明治から大正時代にかけて活躍した実業家で多くの株式会社設立にかかり「日本資本主義の父」と呼ばれる。埼玉県深谷市の藍玉製造販売の長男。...
旅行

シニア街道を行く39、環状7号線地下調節池

東京都環状七号線地下調節池徒歩経路図 図1京王井の頭線西永福寺駅下車、近くにある源頼義が創建した大きな大宮八幡宮を見学した後、善福寺川岸を下流に沿って、和田堀公園、杉並区立郷土博物館、そして巨大防減災施設・環状七号線地下調節池へと辿るコース...
旅行

シニア街道を行く38、霞ヶ浦 美しい帆引き船

霞ヶ浦の美しい帆引き船白いおおきな帆を上げて漁をしている霞ヶ浦の帆引き船の美しい姿を何かで見たことがあるでしょう。霞ヶ浦は茨城県の利根川沿いにある日本で2番目に大きい湖です図1帆引き船の優美な姿明治から昭和にかけて霞ヶ浦では帆引き船を使って...
娯楽

シニア街道を行く37、風流踊「山北の小峰入り」

「山北の小峰入り」ユネスコ登録記念公演2022年11月ユネスコ無形文化遺産へ登録されたことを記念して、神奈川県山北町に古くから伝わる風流踊「お峰入り」の記念公演が2023年10月8日同町小学校グラウンドで行われました。「お峰入り」とは「修行...
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シニア街道を行く36、平塚市村井弦斎祭り

第22回村井弦斎祭りコロナのため延期されたが4年ぶりに第22回目弦斎祭りが神奈川県平塚市の主催により2023年9月22日村井弦斎公園で開かれました。村井弦斎の住居跡 村井弦斎公園て毎年開かれる弦斎祭り村井弦斎は明治大正時代に活躍したジャーナ...
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シニア街道を行く35、茨城県潮来市祇園祭

茨城県 潮来祇園祭私の父は茨城県潮来市の農家の次男坊として生まれ東京大阪でサラリーマンの生涯を送りました。父は東京大空襲で東京が夜空赤く焼けるのを見て、私を翌日潮来へ疎開させました。私は父の兄の家で小学校二年間お世話になりました。江戸時代、...