赤羽にあった社宅(東洋製罐)から東京の空が東京大空襲で真っ赤になっていたのを見たのを鮮明に覚えています。父親は翌日素早く私を茨城県潮来町の実家に、弟妹は母の実家静岡県下田に疎開させました。荒川の土手で、親子で取った写真も残っています。
2023年4月13日(木)懐かしい「赤羽」駅集合と聞きすぐ参加申込。
赤羽のメイン、スズラン通りを抜け徒歩15分荒川知水資料館に到着
1階から3階迄ある展示、特にArakawa Riverside Viewというビデオを繰り返し見て荒川の理解を深めたい
荒川は埼玉、山梨、長野県の三県が境を接する甲武信ヶ岳に源とする最大川幅2537メートルの大河である。
ゆったりと流れる荒川 上流を入川、中流を荒川、下流を隅田川とも言う
その名の通り「荒ぶる川」で、過去幾度となく洪水による氾濫を繰り返し、特に明治43年(1911年)の洪水では23万人に被害が及よびました。
水位計が設置されています
翌年政府は荒川の水を直接太い流れで海に流す荒川放水路の建設を決定。
大正2年(1913年)に着工し、10年の予定を超え、2.5倍の費用をかけて17年後の昭和5年(1930年)に完成した。計画は原田定助、工事監督は日本人でただ1人スエズ運河建設工事に関わった青山士により実行されました。幅500m、長さ22km、東京湾まで直流の放水路が洪水抑制の効果を発揮し、完成後は荒川の堤防が決壊することはありませんでした。
青い関が現在の岩淵水門 此処で下流の隅田川へ流れる水量を調節します。前にある赤い旧岩淵水門は使われていません。隅田川に流さない水は続く荒川放水路で直接東京湾に流します。
荒川知水資料館は荒川の歴史や自然、特に上流から下流までの流れが詳しくわかるビデオは大変参考になります。キョロキョロしながら荒川から下流の隅田川に流す水量を調節する新旧の岩淵水門を見て、釣り人が糸をたて水鳥が浮かぶ川原をゆったり北に進みます。
やがて桃色の芝桜が一面に咲く堤防に到着。
満開の芝桜、堤防を登って道路に上ります。
荒川堤防道路の遅咲きの八重桜を見ながら元きた道を駅まで戻ってきました。
遅咲きの八重桜が満開
江戸時代に行った玉川上水道、大正明治時代の荒川放水路と言ったインフラ整備があっったんですね。
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