シニア街道を行く40、明治新日本発祥の地を行く

旅行

東京日本橋周辺に残る明治近代化の面影 2024年1月20日訪問

1、渋沢栄一銅像(東京駅日本橋口より徒歩5分)
明治から大正時代にかけて活躍した実業家で多くの株式会社設立にかかり「日本資本主義の父」と呼ばれる。埼玉県深谷市の藍玉製造販売の長男。一橋慶喜に仕え幕臣となり27才慶応3年(1867年)年フランスでの万国博覧会に参加、西洋の技術力の高さ、資本主義の仕組みを学び、帰国後明治2年(1869年)商法会所を設立し成功。大蔵省を経て第一国立銀行(民営、日本最初の株式会社、東京証券取引所創設時より上場、今のみずほ銀行)を設立、東京海上火災、東京ガス、東洋紡、王子製紙、帝国ホテル、キリンビールなど500社を超える株式会社の設立に関与した。財閥を造り市場を独占せんとするのに対し「起業の社会的責任」公益を図る考えを貫いた。
教育機関の設立 一橋大、東京経済大、日本女子大、東京女学館
窮民救済 東京慈恵会、日本赤十字社 ノーベル平和賞候補、子孫100人と噂された艶福家でも有名。図1 渋沢栄一銅像

2貨幣博物館
貨幣史研究者田中啓文氏より、所有の日本、東洋経済史研究に必要な膨大な貨幣コレクションを東京空襲が迫るに際し、日本銀行に寄贈された。それを元として一般公開した。
図2 貨幣博物館入り口

3、日本銀行
明治29年(1896年)辰野金吾設計。日本人建築家の建てた最初の近代建築。
八角室や馬車利用のための馬の水飲み場がある。
予約なし見学 月曜日-金曜日 12:45-13:15 2024年2月現在コロナ対応で中断中
予約 見学希望日の90日前まで 予約サイトより 本館内部外観のほか、歴史、業務解説
図3 横から見た日本銀行 

4、福徳神社

江戸時代幕府公認の富くじを発行する数少ない神社の一つ。金運に御利益を求める。
図4 左:福徳神社入り口 図5 右:横にある静かな休憩所

5、三越本店
発祥は延宝元年(1673年)三井財閥の「三」と越後屋から「越」を取り三越と名付けた。
現金売り、掛け値なし、切り売り商法で名を高めた。シンボルのライオン像、吉祥天女像は名高い。
今は少なくなった屋上庭園も楽しい。経営不振で伊勢丹と経営統合。
図6 左:三越の入り口シンボル:ライオン、図7 右:店内を覆う:吉祥天女像

6、日本橋

図8 日本橋は道路元標の場所 図9 下 日本橋、揮毫は徳川慶喜 上 首都高速道路
もともとは慶長8年(1603年)にかけられた木造の橋で現在のものは1911年に建て替えられた。
慶長9年(1604年)日本橋を起点として五幾七道が整備された。
現在のものはルネッサンス式で和漢用折衷の装飾で国の重要文化財に指定されている。
設置されている道路元標は国道の起点になっている。首都高速道路に覆われている景観を取り戻す動きとなっている。

兜町への道 曲がり角
図10、日本橋案内所正面から交番に向けて道路を渡る 図11、交番の横を奥東へ行く

7、三菱倉庫船着き場跡
世界各地の商品が日本橋川の麓にあった荷さばき場から蔵に運ばれた。
昭和5年(1930年)江戸橋倉庫ビルが建てられた。川側に船着き場がある。必見。
図12左 ビル入り口、図13右 ビル横にある日本橋川クルーズ乗り場

ピアノ演奏にビックリ
室内に置かれた駅ピアノでやおら、同行の85才会社同期の日高廣人君が演奏を始めたのにはビックリ。10年前からヤマハ音楽教室に通った由。感服。
 図14 室内に置かれたピアノ

8、郵便発祥の地

明治4年3月(1871年)に駅逓司と郵便役場が設置され新庁舎が明治7年(1874年)完成したが明治21年(1888年)火事により喪失。
郵便発祥の地の石碑と銘、「近代郵便の父」元郵政大臣、前島密の胸像が残されている。
図15 前島密の胸像 
横の木は郵便の木「タラヨウ」、葉の裏に紙をおき先のとがったものでなぞると字が書けるので古代インドで使われた。「郵便局の木」「はがきの木」とも言われる。

9、東京証券取引所

明治11年(1878年)渋沢栄一、三井養之助らの出願により兜町に東京株式取引所が誕生し関東大震災後の昭和6年((1931年)現ビルが完成し兜町のシンボルとして親しまれて来ました。敗戦後取引は禁止されましたが昭和24年(1949年)東京証券取引所として再開されました。平成11年(1999年)すべての取引がシステム化された。平成13年(2001年)株式会社東京証券取引所となる。現在取引はネット上で行われますので無人の空っぽです。取引結果の価格のみがチェッカーと呼ばれる回転式のボードに表示されているだけです。取引が活発の時は早く回転します。近くに兜町の名前の由来となった兜神社があり東京証券取引所が氏子総代を務めています。
図16 デジタル化で無人の東京証券取引所

10,銀行発祥の地 旧東京第一国立銀行跡

明治6年(1879年)渋沢栄一が設立した民営銀行で日本最初の株式会社、今は後地にみずほ銀行が入っている。その後多くの地方銀行も設立され金融機関が整備されていった。日本人の設計した初めての西洋式建物。
図17左、 旧東京第一国立銀行 図18右、 跡地に建てられたみずほ銀行茅場町支店

東京日本橋付近街路図



 

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