旅行

Uncategorized

シニア街道を行く43、東京深川を散策

清澄庭園から芭蕉博物館深川の地名は地図では深川一丁目、二丁目にあるだけだが、通例もっと広い区域を指し銀行の深川支店は広く分布する。江戸時代、大阪から移住して小名木川北岸一帯の開拓を行った深川八郎右衛門が村名を深川としたことに由来する。「深川...
旅行

シニア街道を行く40、明治新日本発祥の地を行く

東京日本橋周辺に残る明治近代化の面影 2024年1月20日訪問1、渋沢栄一銅像(東京駅日本橋口より徒歩5分)明治から大正時代にかけて活躍した実業家で多くの株式会社設立にかかり「日本資本主義の父」と呼ばれる。埼玉県深谷市の藍玉製造販売の長男。...
旅行

シニア街道を行く39、環状7号線地下調節池

東京都環状七号線地下調節池徒歩経路図 図1京王井の頭線西永福寺駅下車、近くにある源頼義が創建した大きな大宮八幡宮を見学した後、善福寺川岸を下流に沿って、和田堀公園、杉並区立郷土博物館、そして巨大防減災施設・環状七号線地下調節池へと辿るコース...
旅行

シニア街道を行く38、霞ヶ浦 美しい帆引き船

霞ヶ浦の美しい帆引き船白いおおきな帆を上げて漁をしている霞ヶ浦の帆引き船の美しい姿を何かで見たことがあるでしょう。霞ヶ浦は茨城県の利根川沿いにある日本で2番目に大きい湖です図1帆引き船の優美な姿明治から昭和にかけて霞ヶ浦では帆引き船を使って...
Uncategorized

シニア街道を行く36、平塚市村井弦斎祭り

第22回村井弦斎祭りコロナのため延期されたが4年ぶりに第22回目弦斎祭りが神奈川県平塚市の主催により2023年9月22日村井弦斎公園で開かれました。村井弦斎の住居跡 村井弦斎公園て毎年開かれる弦斎祭り村井弦斎は明治大正時代に活躍したジャーナ...
Uncategorized

シニア街道を行く35、茨城県潮来市祇園祭

茨城県 潮来祇園祭私の父は茨城県潮来市の農家の次男坊として生まれ東京大阪でサラリーマンの生涯を送りました。父は東京大空襲で東京が夜空赤く焼けるのを見て、私を翌日潮来へ疎開させました。私は父の兄の家で小学校二年間お世話になりました。江戸時代、...
旅行

シニア街道を行く29、洪水を防ぐ荒川放水路

赤羽にあった社宅(東洋製罐)から東京の空が東京大空襲で真っ赤になっていたのを見たのを鮮明に覚えています。父親は翌日素早く私を茨城県潮来町の実家に、弟妹は母の実家静岡県下田に疎開させました。荒川の土手で、親子で取った写真も残っています。202...
旅行

シニア街道を行く28、素晴しき「江之浦測候所」

         (26、27は番号統合により欠番)「江之浦測候所」という名前から天体観測をするところと思われるでしょう。小田原市の山中に杉本博司という現代美術家が作った類まれな「美術館、天体観測、歴史博物館」を総合した博物館です。東海道線...
旅行

シニア街道を行く25、池上本門寺と駒込文士村

連日、平塚駅前で日蓮宗(富士大石寺派)の信者がびらを配って布教をしている。共産党と違って年配の人の中に若い人も混じっている。日蓮聖人は鎌倉時代中期、1260年に「立正安国論」を著わし他宗を放置すると外国から侵略を受けると警告し、実際に14年...