シニア街道を行く43、東京深川を散策

Uncategorized

清澄庭園から芭蕉博物館

深川の地名は地図では深川一丁目、二丁目にあるだけだが、通例もっと広い区域を指し銀行の深川支店は広く分布する。江戸時代、大阪から移住して小名木川北岸一帯の開拓を行った深川八郎右衛門が村名を深川としたことに由来する。「深川めし」でも知られる。紀伊國屋文左衛門、松尾芭蕉、平賀源内、伊能忠敬などが住んだ。

出発 都営大江戸線清澄白河駅

1、松平定信公の墓
8代将軍吉宗の孫で陸奥白河藩第3代藩主であった定信は第11代将軍家斉の就任にあわせ老中に就任し(1787ー1793年6年間)、「倹約」、「救済」、「備蓄」を基盤とし、徳川幕府 264年(1603-1867)の間に行われた三大改革(享保、寛政、天保)の一つ寛政の改革を行った。

2、紀伊國屋文左衛門の墓
元禄時代の豪商、紀伊国出身、若くして江戸に出たのち、八丁堀で材木問屋を開く。江戸は大火が多くその都度、大建築が行われたため、繁盛を極めた。老中柳沢吉保や 勘定奉行らと結託しの幕府御用達として活躍した。しかし、元禄末以降、材木置き場の火災や政権担当者が柳沢吉保から新井白石に変わると家運は傾き廃業、深川に隠棲。俳諧を宝井其角に学び千山と号した。

3、旧東京市営店舗向住宅
清澄通りに沿って約250mに渡って立ち並ぶ鉄筋コンクリート2階建ての長屋。関東大震災の復興事業の一環として東京市が昭和3年(1928)に建設した店舗付き住宅で当初は賃貸だったが昭和28年(1953)居住者に払い下げられ改装が行われた。各店舗の間口は2間半。 

4、清澄庭園
大名の下屋敷だった一帯を三菱の創始者岩崎弥太郎が取得し、明治13年(1880)深川親睦園を開園し、その後子孫の弥太郎、弥之助、久彌の三代が整備した。泉水、山、枯山水を立体的に配置した回遊式林泉庭園で、自社の汽船で集めた全国の名石が配置され石庭の観がある。関東大震災、東京大空襲では避難所として多くの人命を救った。

5、大鵬部屋
本名 納谷幸喜 ウクライナ人を父に持つ 第48代横綱 32回優勝 45連勝
昭和46年(1971)12月に横綱大鵬が創設。その後元貴闘力、大喜が引き継ぎ現在大獄部屋となっている。

6、深川稲荷神社
正月は多くの七福神巡りに人で賑わう隣の深川稲荷神社には大鵬の寄進による石柱が立つ。

7、芭蕉稲荷神社
 大正6年(1917)の台風による津波の後芭蕉の愛好していた石造りの蛙が出土したことからこの地に芭蕉庵があったことが判明し芭蕉稲荷が創建された。境内には芭蕉庵の碑や句碑、蛙の置物がある。
隅田川、小名木川の河岸にある。

8、芭蕉記念館
芭蕉の業績を紹介するために1981年4月江東区が芭蕉の住んだ深川の川縁に記念館を開館。
芭蕉を中心に江戸時代から現代に至る俳句の資料を収集展示している。築山には祠や芭蕉像
句碑がある。

芭蕉俳諧の旅
41才から45才にかけて5回の遠距離の旅に出て俳句を作ると共に広めた。
野ざらし紀行、鹿島詣、笈の小文、更科紀行、奥の細道 

深川 地図

終着

都営地下鉄新宿線森下駅
                                 作成  塚本 正巳

コメント

タイトルとURLをコピーしました