シニア街道を行く41、「谷中、根津、千駄木」

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江戸時代小説の場所を尋ねる

西條奈加作、直木賞受賞時代小説「心淋し川」に書かれた江戸時代、心さびしい川がよどんでいた貧民窟はどこであろうか。作者が「根津権現の北の裏手にあたる千駄木町あたりを取材し、崖のような場所も残っていた」と語った場所はどこであろうか?東京都「谷中、根津、千駄木」界隈を散歩して探索しました。
出発 Jr 山手線日暮里駅
1、天王寺
  昭和32年(1957)放火により消失した五重塔の跡が残っている。
  幸田露伴の同名の小説のモデルとしても有名
 図1 天王寺入り口 奥右手に沙羅双樹の木

2、谷中霊園 さくら通り 左側に沿って有名な故人の墓がある
  天王寺の墓と明治政府が神仏分離により神式の葬儀向けに天王寺の寺域を没収し作った
  東京府管轄の公共墓地が共存。約7000の墓があり、有名人の墓も多い。
  その中に渋沢栄一の突出して広大な墓がある。
 図2  一直線にさくら通り

3、徳川幕府最後の将軍 徳川慶喜の墓
  寛永寺の中の第二霊園の中に神式の墓がある。
  明治政府の子爵になったので、歴代の将軍の仏式と異なり神式の墓碑になっている。
 図3 徳川慶喜の墓 

4、渋沢栄一の墓
  1840年生まれ、生糸農家出身。徳川慶喜の幕臣になりパリ万博を見てヨーロッパ文化にふれ、
  日本の近代化に努めた。「日本資本主義の父」と言われる。
  第一国立銀行を始め多くの会社の創立 に関わった。徳川慶喜の子爵指定にも尽力。
 図4 特別に大きい渋沢栄一の墓

5、浄名院(天台宗)
  八万四千(仏法では無数の意味)の地蔵建立を発願。目下二万体余。
 図5 二万余の地蔵で埋まる

6、東叡山寛永寺根本中堂
  東の比叡山、寛永2年(1625)年に創建された。根本中堂は慶応4年(1868)上野戦争で消失後、  
  明治12年(1879)川越にあった家光建立の本地堂を移築したものである。
  渡り廊下の先に慶喜公が謹慎した「大慈院の葵の間」がある。
  歴代将軍の墓は寛永寺と増上寺が交代で造営する慣例であった。
 図6 東の比叡山と称している大寺

7、国際子ども図書館 
  明治39年(1906)に帝国図書館として建てられた洋館で平成12年(2000)国立初の
  児童書専門図書館として開館した。中に入って見学することが出来ます。
図7 立派な建物には感心

8、旧吉田酒店
  明治43年に作られ当時の商家建築の様子がよくわかります。
  店舗の入り口には大きく突き出した梁で屋根を支える出桁造り、
  シャッターの原型ともいえる揚げ 戸、中央に帳場、左に陳列棚がある。
  二階は8畳、3畳の住み込み店員用の部屋がある。
図8 明治時代の商家の様子

9、延寿寺日荷堂 日蓮宗 安永元年(1772)建立
  日荷上人は大きな仁王像を造り、身延山(山梨県在)の山門まで一昼夜で
  背負い運び上げたという。日荷上人にちなみ、健脚祈願、足腰の病気平癒を願う人が多く訪れる
 図9 健脚祈願の寺

10、根津神社 江戸3大祭りの一つ 根津大権現とも言われる
  日本武尊(やまとたける)が東夷平定のおり千駄木の地に創須佐之男命(すさのおのみこと)
  を仰ぎ作った古寺で、文明年間(1469―87)に太田道灌が社殿を奉納した。
  宝永2年5代将軍徳川綱吉が大造営を行い現在の社殿に造り直し、300年間欠けずに現在に至って
  いる。昭和6年国宝に指定。江戸三大祭り(山王、神田、根津)の一つ。
  神苑7千坪につつじが植えられ、つつじヶ丘と呼ばれる。
  神仏習合の時代は根津大権現とよばれ、神仏分離令下の現在でも別名となっている。
 図10 つつじが丘、お稲荷さんがある大神社

11、見つけたぞ!団子坂 ?
  主人公がなんとしても逃げ出したい貧民窟は
「根津権現の北の裏手、千駄木町の川に沿った低地にある」と書かれている。
さすると地下鉄千駄木駅に近い「団子坂」下の低地と推測される?
通った根津神社の正門へ直行の「あかじ坂」ではないようだ。
  周辺の歓楽街は近くに東京大学が出来たので強制移設され、小さな川は地下に封鎖されている。 図11 団子坂 地下鉄千代田線千駄木駅は団子坂下に当たる

AIで小説上の江戸時代の場所を探索するも回答表示されなかったのは残念。
帰着 地下鉄千代田線千駄木駅
踏破地図
図12

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